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河崎氏館

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★★★城のデータ★★★ [所在地] 神奈川県川崎市川崎区宮本町 [築城年] 平安時代後期 [築城者] 河崎基家 [遺 構] なし [別 称] 河崎 堀之内、 川崎堀之内 [形 状] 平城 坂東八平氏の一つ秩父氏庶流の河崎氏の居館とされています。多摩川下流域南岸の微高地上に位置します。河崎氏は現在の川崎近辺を領有していました。 市街地化が著しく遺構は見られませんが、堀之内の地名が残ります。現在は稲毛神社となっており、神社内に説明板があります。 稲毛神社 稲毛神社 説明板 稲毛神社入口

作延城

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★★★城のデータ★★★ [所在地] 神奈川県川崎市高津区下作延 [築城年] 不明 [築城者] 稲毛重成 [遺 構] なし [別 称] 作延城山 [形 状] 丘城 平瀬川北岸の丘陵先端に位置し、周囲の眺望が効く地にあります。桓武平氏の流れをくむ秩父氏の一族であった稲毛重成が築いた城郭とされます。戦国期には北条氏の対扇谷上杉氏の城砦としての役割があったと言われています。 城跡は緑ヶ丘霊園内にあり、城跡を示す石碑と説明板がありますが、遺構は見られません。 緑ヶ丘霊園内にある城址 作延城址 説明板

八日市場城

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★★★城のデータ★★★ [所在地] 群馬県前橋市元総社町 [築城年] 1601年 [築城者] 総社長尾氏、諏訪頼忠、秋元長朝 [遺 構] なし [別 称] なし [形 状] 平城 1601年に総社藩に入った秋元長朝は総社城の築城を始めましたが、完成までの仮の城として八日市場城を使用しました。1610年に総社城が完成すると、八日市場城は廃城となります。秋元長朝が入る前から蒼海城の一部であった可能性もあります。 昌楽寺のあたりが城跡とされますが、遺構はなく説明板などもありません。 昌楽寺 昌楽寺境内

蒼海城

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★★★城のデータ★★★ [所在地] 群馬県前橋市元総社町 [築城年] 1429年 [築城者] 総社長尾氏 [遺 構] 曲輪、土塁 [別 称] なし [形 状] 平城 蒼海城は永享元年に上野守護代・長尾忠房が修築し、それ以降総社長尾氏の本城となりました。戦国時代、総社長尾氏は武田信玄の攻撃を受けて落城し、上杉謙信を頼って越後へと退去しました。徳川家康の関東入国後は諏訪頼水が城主となり、その後秋元長朝が入城しますが、総社城に移ったため廃城となりました。 総社神社境内に巨大な縄張図があります。総社神社から宮鍋神社付近が城の中心で、沼や堀に囲まれた城郭だったようです。水堀跡や土塁跡などが市内に点在しています。 総社神社 総社神社内の城跡地図 馬場水堀跡 仕切土塁跡 本丸跡 上野国国府址・蒼海城址 発掘調査