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高安寺城

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[所在地] 東京都府中市片町 [築城年] 不明 [築城者] 不明 [遺 構] なし [別 称] 高安寺館、高安寺塁 [形 状] 平城 高安寺は藤原秀郷の館跡といわれ、跡地に建立された寺院を足利尊氏が安国利生の祈願所として整備しました。その後兵乱の間、たびたび将軍家の陣所となっています。現況では土塁や堀は確認されませんが、発掘調査で検出された溝と道による高安寺の防御ラインが推測されています。 高安寺の境内には江戸時代の本堂、鐘楼、明治5年に建てられた山門、秀郷稲荷社、弁慶硯の井戸などがあります。 高安寺山門 秀郷稲荷 弁慶硯の井戸 高安寺 略縁起

古渡城

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[所在地] 愛知県名古屋市中区橘 [築城年] 1534年 [築城者] 織田信秀 [遺 構] 堀跡 [別 称] なし [形 状] 平城 織田信秀が今川氏から奪った那古野城を嫡男・信長に与え、東方の今川氏に備えるために古渡城を築城しました。1548年に信秀は末森城を築いて移ったため、古渡城は廃城となりました。 城は現在の東本願寺名古屋別院周辺に位置し、古渡城址の石碑と説明板のみがあります。隣接する下茶屋公園は古渡城の堀を利用したとされています。 古渡城址 説明板 東本願寺名古屋別院

岩崎城

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[所在地] 愛知県日進市岩崎町市場 [築城年] 1538年 [築城者] 丹羽氏清 [遺 構] 曲輪、土塁、横堀、土橋、井戸跡 [別 称] なし [形 状] 平山城 松平清康(徳川家康の祖父)が守山崩れにより死去すると、本郷城主・丹羽氏清が移り住み4代続けて城主となります。その後1551年の丹羽氏の抗争である横山の戦いを経験し、1584年の小牧・長久手の戦いでは岩崎城は落城しています。 現在岩崎城址公園として整備され、空掘や土塁などが残っています。1987年に展望塔として三重四階の模擬天守が建っていますが、残念ながら史実を無視したものです。 模擬天守 (夜間の登城のため、この写真のみ ※Y.Hさん提供)

塚口城

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[所在地] 兵庫県尼崎市塚口本町 [築城年] 室町時代後期 [築城者] 一向一揆勢 [遺 構] 堀、土塁 [別 称] 塚口御坊、塚口寺内 [形 状] 平城 塚口城は室町時代から戦国時代にかけて、塚口御坊と呼ばれた興正寺別院(現在は正玄寺)を中心とした寺内町です。当時は高い土塁をめぐらした外側に堀を設け、二町四方の土塁で囲われていたようで、要所に出入門があったようです。 遺構として、旧寺内町の東端と北端に祠と説明板がたっており、堀、土塁がわずかながら残っています。 東町門跡の祠 東町門跡の祠 説明板 水路として残る堀跡