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9月, 2018の投稿を表示しています

仙台城

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★★★城のデータ★★★ [所在地] 宮城県仙台市青葉区川内 [築城年] 1601年 [築城者] 伊達政宗 [遺 構] 土塀、石垣、土塁など [別 称] 青葉城、五城楼 [形 状] 平山城(山城) 仙台城は伊達政宗が1600年に青葉山にあった千代城を基に築いた城で、2年後にはほぼ完成しました。城の三方を広瀬川や断崖で囲まれた要害の地で、天守こそ築かれませんでしたが、山上の本丸には華麗な本丸御殿や櫓が立ち並ぶ伊達60万石を象徴する城郭でした。現在も要所に石垣などが現存しており、特に本丸の高石垣は圧倒する迫力があります。城の正面の大手門跡横には戦後に復興された大手門脇櫓があります。 大手門脇櫓 大手門脇櫓 大手門跡の石垣と土塀 広瀬川 三の丸の水堀(長沼) 三の丸の水堀(五色沼) 三の丸の子(ねの)門跡 三の丸の巽門跡 清水門跡の石垣 中門跡の石垣 本丸北面の石垣 本丸北面の石垣 本丸北面の石垣 本丸の詰門跡 本丸の大広間跡 本丸より仙台市街を望む 伊達政宗公騎馬像 本丸の懸造跡 本丸西面の石垣 本丸西面の石垣

若林城

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★★★城のデータ★★★ [所在地] 宮城県仙台市若林区古城 [築城年] 1627年 [築城者] 伊達政宗 [遺 構] 土塀、堀など [別 称] 若林古城、小泉古城 [形 状] 平城 若林城は伊達政宗の隠居城として築かれた平城です。政宗の死後廃城となり、城内の建物は仙台城二の丸に移築されたと言われます。城跡はその後若林薬園が置かれ藩により保存されました。現在は宮城刑務所となっていて、内部に一般人が入ることができません。城は東西420m、南北350mの方形で、 四方を堀と土塁に囲まれていました。現在も土塁、空堀が現存しています。 若林城跡石碑 説明板 現在は宮城刑務所となっています 土塁と堀跡 土塁と堀跡

備中高松城

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★★★城のデータ★★★ [所在地] 岡山県岡山市北区高松 [築城年] 永禄年間(1558~70年)か [築城者] 石川久孝 [遺 構] 曲輪跡、築堤跡など [別 称] なし [形 状] 平城 備中松山城主の三村元親の命により石川氏が築いたとされますが、戦国期に毛利氏に滅ぼされ、毛利方の清水宗治が城主となります。1582年羽柴秀吉による毛利攻めの際、城より低い位置に堤防を築いて水攻めが行われ、城兵の命と引き換えに宗治の切腹により開城します。その後旧宇喜多家臣の花房氏が入るも、一国一城令により廃城となります。 城は沼沢地に築かれた平城で、沼などを天然の堀として利用していました。現在は史跡公園として整備されており、本丸、二の丸、三の丸跡および清水宗治の首塚、蛙ヶ鼻築堤などが残っています。 城址公園(蓮池) 本丸跡 清水宗治公首塚 清水宗治公の辞世の句 「浮世をば 今こそわたれ 武士の 名を高松の 苔に残して」 清水宗治公自刃之阯 水攻め築堤跡 三の丸跡 二の丸跡 胴塚 蛙ヶ鼻築堤跡

鴨方陣屋

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★★★城のデータ★★★ [所在地] 岡山県浅口市鴨方町鴨方 [築城年] 1672年 [築城者] 池田政言 [遺 構] 石垣、井戸 [別 称] - [形 状] 陣屋 鴨方陣屋は岡山藩主・池田光政次男の 政言(まさこと)が岡山新田藩を立藩したことに伴い、 鴨方川西岸の丘陵裾部に築かれます。かつては御用場と呼ばれた出張陣屋で、諸役所建物と軍事訓練施設がありました。現在は黒住教の教会所が建てられており、石垣と井戸が残っています。近隣の鴨方街道沿いに町家や蔵、庭園などが整備された「かもがた町家公園」、江戸時代の儒者・西山拙斎の史跡などがあります。 石垣 石垣 修復整備中の石垣 井戸 旧高戸家住宅