備中高松城

★★★城のデータ★★★

[所在地] 岡山県岡山市北区高松
[築城年] 永禄年間(1558~70年)か
[築城者] 石川久孝
[遺 構] 曲輪跡、築堤跡など
[別 称] なし
[形 状] 平城

備中松山城主の三村元親の命により石川氏が築いたとされますが、戦国期に毛利氏に滅ぼされ、毛利方の清水宗治が城主となります。1582年羽柴秀吉による毛利攻めの際、城より低い位置に堤防を築いて水攻めが行われ、城兵の命と引き換えに宗治の切腹により開城します。その後旧宇喜多家臣の花房氏が入るも、一国一城令により廃城となります。
城は沼沢地に築かれた平城で、沼などを天然の堀として利用していました。現在は史跡公園として整備されており、本丸、二の丸、三の丸跡および清水宗治の首塚、蛙ヶ鼻築堤などが残っています。


城址公園(蓮池)

本丸跡

清水宗治公首塚

清水宗治公の辞世の句
「浮世をば 今こそわたれ 武士の 名を高松の 苔に残して」

清水宗治公自刃之阯

水攻め築堤跡

三の丸跡

二の丸跡

胴塚

蛙ヶ鼻築堤跡

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