新府城

★★★城のデータ★★★

[所在地] 山梨県韮崎市中田町中條
[築城年] 1581年
[築城者] 武田勝頼
[遺 構] 土塁、堀など
[別 称] 韮崎城、韮崎館
[形 状] 平山城

1581年に武田勝頼はそれまで武田氏の本拠であった躑躅ヶ崎館から韮崎の地に移します。釜無川の流れと七里岩台地を天然の要害とした平山城でした。曲輪を機能的に配置し、堀と土塁を巡らし、丸馬出、三日月堀、出構など武田流築城術の粋を集めた城郭でした。しかしながら、1582年織田・徳川連合軍の侵攻により新府城は戦わずして放棄され、その真価を発揮することはありませんでした。在城約60日で城に火をかけ武田氏は天目山で滅亡します。
現在は当時の建物はありませんが、堀、土塁、虎口などが良好に残っており、史跡として保存整備が進んでいます。北側の塁線には出構と呼ばれる堀に突き出した鉄砲陣地を2本設けており、従来の城郭には見られない構造です。

大手枡形

大手枡形と丸馬出

三日月堀

本丸跡にたつ史跡碑

推定復元図

本丸跡

二の丸の土塁

井戸跡

搦手側の堀

乾門枡形虎口

搦手側の西堀

西出構

東出構

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