勝龍寺城
★★★城のデータ★★★
[所在地] 京都府長岡京市勝龍寺
[築城年] 室町時代中期
[築城者] 畠山義就
[遺 構] 土塁、空堀、石垣など
[別 称] 小龍寺城
[形 状] 平城
[築城年] 室町時代中期
[築城者] 畠山義就
[遺 構] 土塁、空堀、石垣など
[別 称] 小龍寺城
[形 状] 平城
かつて南北朝時代に細川頼春が築いたと言われていましたが、今日では畠山義就が乙訓群の郡代役所として築城したとされます。その後松永久秀や三好三人衆の属城となっていましたが、上洛した織田信長の前に陥落し、城は細川藤孝に与えられます。藤孝時代に二重の堀に囲まれ、天守(殿主)に相当する建物も築かれます。藤孝嫡男の忠興と明智光秀の娘・玉が結婚したのもこの城です。1582年、本能寺の変で光秀の城となりますが、山崎の戦い後に羽柴秀吉が入ります。その後城は空き城となり、1633年に永井直清が山城長岡藩を立藩しますが、城の北方に新たに長岡陣屋を築かれ、永井氏が転封されると城は廃城となります。
現在勝龍寺城公園内には本丸の土塁、水堀を始め、模擬塀・櫓、城門などが整備されています。また、神足神社内には外郭部の土塁・空堀が整備されています。
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