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石倉城

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★★★城のデータ★★★ [所在地] 群馬県前橋市石倉町 [築城年] 1485年 [築城者] 長尾憲景 [遺 構] 曲輪、土塁、空堀? [別 称] なし [形 状] 平城 石倉城は上野国守護代の長尾忠房の嫡子・憲景が1485年に築城しました。戦国時代の後期、武田氏と上杉氏との争奪の場となり、その後は北条氏が城を領有しますが、1590年の小田原攻めの際に攻められ落城しました。 城は利根川西岸にあり、前橋城の対岸に位置します。利根川沿いに本丸、二の丸、外曲輪が取り巻く縄張りでしたが、利根川の浸食により主郭部は崩落し、その他も市街地化により遺構は消滅しています。現在は石倉城二の丸公園に石碑と鳥観図(縄張図)、説明板がたち、近隣の外堀公園の名称から当時の城の規模が想像できます。 石倉城址 二の丸公園にたつ城址と鳥観図 石倉城鳥観図 説明板 外堀公園 城付近を流れる利根川

榎下城

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★★★城のデータ★★★ [所在地] 神奈川県横浜市緑区三保町 [築城年] 永享年間(1429~1441 )か [築城者] 上杉憲清 [遺 構] 曲輪、土塁、空堀など [別 称] 久保城 [形 状] 平山城 1438年の鎌倉公方・足利持氏と関東管領・上杉憲実が争った永享の乱で足利方の榎下城主・上杉憲清が破れて自害し、のちに北条氏の小机城の出城になったといわれます。慶長年間に旧城寺が建立され、現在に至っています。 本堂のある部分が二の曲輪、裏手の高台部分が一の曲輪となっており、周囲には土塁が設けられています。山門脇には桝形状の土塁も見られます。 二の曲輪跡・榎下城址 榎下城址説明板 山門脇の枡形状の土塁跡 一の曲輪跡 山田右京之進城跡碑 的場下

茅ヶ崎城

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★★★城のデータ★★★ [所在地] 神奈川県横浜市都筑区茅ヶ崎東 [築城年] 14~15世紀ごろ [築城者] 扇谷上杉氏 [遺 構] 空堀、土塁、土橋など [別 称] 多田山城守塁 [形 状] 平山城 相模守護の扇谷上杉氏が築いたといわれ、戦国時代に北条氏の武蔵進出の拠点となる小机城の支城になり、北条氏家臣の座間氏が城代をつとめました。豊臣秀吉の小田原平定の際に放棄され、廃城になったと考えられています。 早淵川の南岸に位置する小丘陵の先端に築かれ、台地中央に中郭、東・西・北の三方に空堀と曲輪が構えられました。東曲輪が城内で最も高く物見台の役割があったようです。現在は茅ヶ崎城址公園として曲輪跡、土塁、空堀跡がわかるように整備されており、案内板も数多く配置されています。 茅ヶ崎城址公園入口 北郭 北郭から中郭への虎口 中郭と建物跡 東郭 西郭と中郭間の空堀 北郭の西側虎口