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淵野辺城

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[所在地] 神奈川県相模原市中央区淵野辺本町 [築城年] 南北朝時代 [築城者] 淵辺義博 [遺 構] なし [別 称] 淵辺義博館 [形 状] 平城 南北朝時代、足利直義家臣の淵辺義博の居館跡と伝わります。境川西岸の低段丘上に位置します。1335年の中先代の乱において鎌倉で護良親王を殺害し(奥州に逃した伝承も)、駿河の手越河原の戦いで討ち死にしたと言われます。 江戸時代まで馬場や土塁があったようですが、現在は遺構はなく、淵辺義博居館跡の碑と顕彰碑が立つのみです。 淵辺伊賀守義博居館跡の碑 居館跡の碑と顕彰碑 顕彰碑

岩村田城

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[所在地] 長野県佐久市岩村田 [築城年] 1864年 [築城者] 内藤正誠 [遺 構] 土塁 [別 称] 藤ヶ城 [形 状] 平山城 1703年岩村田に入り、大名に昇格した内藤氏が1864年に築城を始めましたが、明治維新を迎え城は未完成に終わりました。城は湯川の崖線に囲まれた要害の地で、西洋の築城法を取り入れた縄張だったようです。中央に正方形の本丸、東西方向に曲輪と四隅に櫓を築こうとしていたようです。城跡は現在岩村田公園(招魂社、鵲稲荷神社)、岩村田小学校となっています。平成30年の発掘調査で岩村田小学校の土塁が調査され、説明板とともに保存されています。 藤ヶ城(岩村田城)址 藤ヶ城(岩村田城)址と土塁 岩村田城址 岩村田公園 (招魂社、鵲稲荷神社)

岩村田陣屋

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[所在地] 長野県佐久市岩村田 [築城年] 江戸時代 [築城者] 内藤正友 [遺 構] なし [別 称] なし [形 状] 陣屋 1703年に1万5000石で封じられた信濃岩村田藩の藩庁です。明治維新までこの陣屋を拠点としました。内藤氏は幕末期に城主格になり、岩村田城を築こうとしましたが、完成を見ることなく、廃城になりました。 現在は佐久市公民館浅間地区館に岩村田陣屋址が建っているのみです。 岩村田藩陣屋跡 岩村田藩陣屋跡

大井城

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[所在地] 長野県佐久市岩村田 [築城年] 鎌倉時代 [築城者] 大井朝光 [遺 構] 曲輪、堀切 [別 称] 岩村田館(王城、黒岩城、石並城) [形 状] 平山城 鎌倉・室町時代を通じて佐久郡東部を中心に勢力を振るった大井氏宗家の本拠地で、朝光の代に館を構えたとされます。1484年、村上氏の攻撃により大井城は焼亡、大井宗家は滅亡、その後支族により再興された城も、1543年武田信玄によって攻略されています。 東は湯川の断崖によって形成された台地を利用しており、城域は堀切によって中央を王城、南を黒岩城、北を石並(いせならなび)城と三区分され、あわせて大井城と呼ばれます。現在は王城公園として整備されています。天然の地形を活用した湯川沿いの断崖、各城間の堀切跡は圧巻です。 大井城跡(王城跡) 説明板 王城のケヤキ 王城と石並城間の堀切 湯川沿いの断崖 王城跡から黒岩城跡を望む