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御影陣屋

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[所在地] 長野県小諸市御影新田屋敷 [築城年] 1699年 [築城者] 徳川幕府 [遺 構] 代官宿舎、移築門 [別 称] なし [形 状] 陣屋  佐久地方の幕府直轄領(天領)を支配した陣屋跡で、1699年に臨時的なものが置かれ、佐久郡内を転々とした後、1794年に御影陣屋に戻り、以後明治維新まで存続しました。代官は勘定奉行の下に属し、普段は江戸住まいで、年に数度この地に出張し、支配役人の監督を行っていました。代官の居宅である本陣、公務を行う役所、家臣の住宅、土蔵などがありました。 現在、代官宿舎の建物が残り、代官宿所資料館として整備され、一般に開放されています。 陣屋跡 陣屋宿舎 説明板

荏田城

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[所在地] 神奈川県横浜市青葉区荏田町 [築城年] 鎌倉時代? [築城者] 荏田氏? [遺 構] 曲輪、土塁、空堀 [別 称] 荏田城山 [形 状] 山城  東急田園都市線「江田駅」に程近い、早渕川支流に囲まれた比高20mほどの小丘陵先端に築かれた城郭です。鎌倉古道と大山街道が交差する要衝の抑えであり、戦国時代には北条氏の拠点の一つとなり、小机城の支城であったようです。 主郭と西郭からなり、土塁や空堀などの遺構が比較的良好らしいのですが、大半は民有地で立入禁止になっているため、状況はよくわかりません。 城山を遠望 城山入口 (私有地のため中に入ることができません)

岩倉城

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[所在地] 愛知県岩倉市下本町城趾 [築城年] 1479年 [築城者] 織田伊勢守 [遺 構] 堀跡 [別 称] なし [形 状] 平城  織田伊勢守家当主である織田敏広によって築城されたとされます。この城を拠点に尾張上四郡を支配し、尾張下四郡を支配した織田大和守の清州城と並び重要な城でしたが、1559年織田信長に攻められ岩倉城は落城しています。小牧・長久手の戦いでは徳川家康が陣を置いています。 標高10mの低い台地上に築かれた平城で、東西104m、南北169mの規模で、二重の堀で囲まれた城でした。発掘調査で堀が発見されています。現在は岩倉城の石碑(織田伊勢守城址)と説明板が建っています。 岩倉城跡碑 織田伊勢守城址 説明板 城跡付近

根井氏館

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[所在地] 長野県佐久市根々井亀田 [築城年] 平安時代後期 [築城者] 根井氏 [遺 構] なし [別 称] 根々井館 [形 状] 平城  根井氏館は平安時代の武将・根井行親の館跡で、現在の正法寺を中心に150m四方の規模とされ、四周は土塁で囲まれていたようです。根井氏は滋野党望月氏の支流で、牧場経営を通じて巨大な軍事力を持っていたと言われます。行親は木曽義仲の挙兵に呼応し、中心勢力となって奮戦しましたが、1184年京の六条河原で戦死しました。 現在は当時の遺構らしきものは見られませんが、根井氏居館跡の碑と根井行親の供養塔が正法寺の境内に建てられています。 根井氏居館跡碑 館跡に建つ正法寺 説明板 根井行親供養塔