潮田館 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ - 6月 07, 2025 [所在地] 神奈川県横浜市鶴見区汐入町[築城年] 戦国時代[築城者] 潮田光行[遺 構] なし[別 称] なし[形 状] 平城北条氏家臣であった潮田氏の居館跡とされています。今川氏庶流の入野将監光興の嫡子光行が潮田に移り住み潮田氏を称し、北条氏康の家臣となったようです。現在潮田氏が開山したと伝わる光永寺が館跡とされ、かなり立派な建物がたっていますが、遺構は特に残っていません。光永寺光永寺光永寺由来碑 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
足利政氏館 - 12月 30, 2025 [所在地] 埼玉県久喜市本町 [築城年] 1518年 [築城者] 足利政氏 [遺 構] 曲輪、土塁、空堀 [別 称] なし [形 状] 平城 足利成氏は関東管領と対立をしたために、古河公方を称して伊豆の堀越公方、山内・扇谷上杉氏との勢力争いが続く享徳の乱が始まります。乱の終息後、古河公方2代目の足利政氏はこの地に館を構えました 。しかし、子の高基との抗争に敗れ政氏は出家、1516年ごろ甘棠院に移り隠棲したといわれます。 当時は堀で囲まれた本郭と二郭からなり、その間には横矢掛の堀があったようです。 現在館跡は永安山甘棠院の広い境内となっており、足利政氏の墓があります。また、中門から本堂を囲むように空掘(当時は水堀か)が、境内の北側には土塁も確認できます。 永安山・甘棠院の中雀門 (門が開いていなかったので、政氏の墓を見学できませんでした) 中雀門に刻まれた足利氏の家紋 足利政氏館跡及び墓 説明板 空堀跡 空堀跡 永安山・甘棠院の中門 北側の堀跡 Read more »
福岡城 - 11月 17, 2025 [所在地] 福岡県福岡市中央区城内 [築城年] 1601年 [築城者] 黒田長政 [遺 構] 南の丸多聞櫓、西隅櫓、 伝潮見櫓、 潮見櫓、下之橋御門、 名島門、 石垣、水堀、天守台 [別 称] 舞鶴城 [形 状] 平山城 1600年、関ヶ原の戦い後で東軍の勝利に大きく貢献した黒田長政は、筑前52万石を与えられ、かつて鴻臚館(古代の外交施設)があった地に7年をかけて福岡城を築城します。 内郭面積が約41万㎡の大規模な城は、西側に入江(現・大濠公園)を配し、周囲を水堀で囲まれ、47の櫓、10を超える城門で防備された強固な構えでした。 城の中枢である本丸には壮大な天守台の石垣が残されています。当時天守があったかは議論が続いており、発掘調査が続いているようです。三の丸には城内に入るための日常の通用門として使用された下之橋御門と伝潮見櫓(本来別の場所にあった)、名島城から移築された名島門、黒田24騎の一人・母里太兵衛邸の長屋門、南三の丸には総延長72mの多聞櫓と東西の隅櫓(東隅櫓は復元)があります。また、2025年に三の丸の北西に崇福寺に移築されていた潮見櫓が本来の場所に移築復元されています。 下之橋御門と伝潮見櫓 下之橋御門 水堀と下之橋御門・伝潮見櫓 伝潮見櫓 旧母里太兵衛邸の長屋門 かつて名島城の脇門だった名島門 二の丸の石垣 東御門跡 天守台入口 天守台の石垣 天守台の石垣 手前から小天守跡、中天守跡、大天守跡 南の丸多聞櫓、東隅櫓 南の丸多聞櫓の石落し 南の丸西隅櫓 南の丸西隅櫓(曲輪の内側から) 南の丸東隅櫓(曲輪の内側から) 水堀と移築復元された潮見櫓 潮見櫓 潮見櫓(曲輪の内側から) Read more »
真鍋城 - 7月 11, 2025 [所在地] 大阪府泉大津市神明町 [築城年] 南北朝時代? [築城者] 真鍋 氏 [遺 構] なし [別 称] 眞鍋城、大津城 [形 状] 平城 南北朝時代、南朝方の真鍋主馬大夫の居城であり、天正年間(1573〜92年)に廃城になったと言われます。 城跡は現在の泉大津駅西側の旧紀州街道沿いにある南 溟寺(なんめいじ)境内にあり、かつての城の遺構は残っていませんが、寺の本堂前に城跡碑と伯太藩渡辺家の墓所があります。城の遺構ではありませんが、寺の山門と鐘楼は大変立派な建物です。 南 溟 寺鐘楼 南 溟寺山門 真鍋城址 真鍋城址と本堂 Read more »
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