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和歌山城

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★★★城のデータ★★★ [所在地] 和歌山県和歌山市一番丁 [築城年] 1585年 [築城者] 豊臣秀長 [遺 構] 門、石垣、堀、庭園など [別 称] 虎伏城、竹垣城 [形 状] 平山城 1585年、紀州を平定した豊臣秀吉は弟・秀長の城を築かせることとし、藤堂高虎に縄張を命じました。城は重臣の桑山重晴がつとめます。関ヶ原の戦いの戦功により、浅野幸長が37万石を得、内堀や石垣の改修をしています。1619年には徳川家康の十男・徳川頼宣が55万石で入城し、徳川御三家として紀州を治めることになります。戦前和歌山城の天守は国宝に指定されていましたが、米軍の空襲により焼失しており、現在の天守は1958年に再建されたものです。2006年には二の丸と西の丸をつなぐ御橋廊下が復元されています。堀上に斜めに架かる橋として大変珍しいものです。 大天守 一の橋と大手門 一中御門跡 追廻門 不明門横の高石垣 岡口門 岡口門北側の土塀と内堀 松の丸櫓台の石垣 御橋廊下 御橋廊下内部 天守曲輪の石垣 天守曲輪の楠門 天守曲輪の二の門櫓 本丸からみた大天守

中野城

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★★★城のデータ★★★ [所在地] 和歌山県和歌山市中野 [築城年] 戦国時代 [築城者] 貴志教信、雑賀衆 [遺 構] 石垣、堀 [別 称] なし [形 状] 平城 中野城は和泉国から紀伊国に入る交通の要衝にあり、戦国時代には雑賀衆の拠点として活用されていました。1577年の織田軍の攻撃により落城し、織田信忠が本陣を構えたと言われます。この時の戦いのものと思われる銃弾などが出土していて、激戦だったと考えられます。遺構は宅地化によりほぼ消失していますが、民家の塀の下に残る石垣が城のものと伝われいます。 城跡付近(石垣と堀跡) 城跡付近 貴志南小学校入口にある説明板

木本城

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★★★城のデータ★★★ [所在地] 和歌山県和歌山市木ノ本 [築城年] 鎌倉時代 [築城者] 木本宗保 [遺 構] なし [別 称] なし [形 状] 山城(丘城) 有田郡湯浅地方に勢力を誇った湯浅党の祖・湯浅宗重の孫・宗保は紀北の紀ノ川筋に進出して木本源太 宗保 を名乗り、 楠木正成に従い行動をともにしたと伝えられています。 この時の城が木本城といわれます。木本城は 戦国時代、織田信長の紀州侵攻時に中野城を攻める際の陣城とされ、近年まで土塁や虎口などの遺構がありましたが、開発により現在は墓地になっています。 城跡付近(現在は墓地) 現地の説明板 城跡付近

高崎城

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★★★城のデータ★★★ [所在地] 群馬県高崎市高松町 [築城年] 1598年 [築城者] 井伊直政 [遺 構] 櫓、門、土塁、堀など [別 称] 和田城 [形 状] 平城 高崎城は徳川四天王の一人・井伊直政によって築かれた近世城郭です。当初直政は箕輪城を本拠としていましたが、交通の要衝の地である高崎に移します。江戸時代は天守相当の御三階櫓と4基の隅櫓をもち、周囲は土塁で防御された城でした。現在は市街地化のため、本丸、二の丸に遺構は見られませんが、乾櫓(元々本丸にあったものを移築)と三の丸東門が城址公園の一角に建っています。また、三の丸を囲む土塁と堀はとてもよく残されています。市立中央図書館の正面には調査で発見された石垣水路と石樋が移築再現されています。 本丸乾櫓 本丸乾櫓 本丸乾櫓と三の丸東門 三の丸東門(表側) 三の丸東門(裏側) 三の丸の堀 三の丸の土塁 石垣水路と石樋 高崎城の西側を流れる烏川