野田城

[所在地] 愛知県新城市豊島本城
[築城年] 1516年
[築城者] 菅沼定則
[遺 構] 曲輪、土塁、空堀、土橋など
[別 称] -
[形 状] 平山城

1508年~1516年頃、今川氏親に属した菅沼定則が築城したとされ、以後菅沼氏3代が城主を務めます。1573年三方ヶ原の戦いで大勝した武田信玄が徳川方の野田城に攻め寄せ、断水作戦により落城します。この時、城内から響く笛に聞き入っていた信玄が城内から狙撃されたとの伝承があります。
城は本宮山麓から延びた丘陵が、舌状に突き出た先端にあり、東西を川(沼地)に挟まれた天然の要害の地にあります。縄張は3つの曲輪で構成されそれぞれ土塁と堀切で防御されています。近隣の法性寺には野田城から移築された大門が残っています。


野田城址

二の曲輪跡

二の曲輪と三の曲輪間の空堀

二の曲輪と主郭をつなぐ土橋

主郭の井戸跡

主郭の土塁

法性寺の大門

信玄被弾の地

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