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花崎城

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[所在地] 埼玉県加須市花崎北 [築城年] 16世紀 [築城者] 細萱光仲 [遺 構] 曲輪、空堀、水堀 [別 称] なし [形 状] 平城 花崎城は栗原城(久喜市)の支城として築城されたと考えられています 。埋没台地の北端、微高地に位置しており、周囲は低湿地でした。1561年上杉謙信の関東侵攻時、城主の細萱民部小輔は小田原城に参陣しており、幼少の細萱泰秀が守っていましたが、落城しています。 現在城跡は東武伊勢崎線により分断されており、南側の花崎城山公園と北側の花崎城跡公園となっています。花崎城山公園が本郭跡であり、周辺に空堀が良好に残っています。 花崎城跡公園は出枡形状の馬出跡だったとのことです。発掘調査では畝堀や障子堀も見つかっており、北条氏特有の城郭であったことがわかります。 花崎城山公園の南側に残る空堀 花崎城山公園の北側に残る空堀 花崎城山公園の南側に残る空堀 (畝堀や障子堀は確認できませんでした) 花崎遺跡の説明板 花崎城跡公園の銘板 花崎城跡公園

足利政氏館

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[所在地] 埼玉県久喜市本町 [築城年] 1518年 [築城者] 足利政氏 [遺 構] 曲輪、土塁、空堀 [別 称] なし [形 状] 平城 足利成氏は関東管領と対立をしたために、古河公方を称して伊豆の堀越公方、山内・扇谷上杉氏との勢力争いが続く享徳の乱が始まります。乱の終息後、古河公方2代目の足利政氏はこの地に館を構えました 。しかし、子の高基との抗争に敗れ政氏は出家、1516年ごろ甘棠院に移り隠棲したといわれます。 当時は堀で囲まれた本郭と二郭からなり、その間には横矢掛の堀があったようです。 現在館跡は永安山甘棠院の広い境内となっており、足利政氏の墓があります。また、中門から本堂を囲むように空掘(当時は水堀か)が、境内の北側には土塁も確認できます。 永安山・甘棠院の中雀門 (門が開いていなかったので、政氏の墓を見学できませんでした) 中雀門に刻まれた足利氏の家紋 足利政氏館跡及び墓 説明板 空堀跡 空堀跡 永安山・甘棠院の中門 北側の堀跡

久喜陣屋

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[所在地] 埼玉県久喜市久喜中央 [築城年] 1684年 [築城者] 米津(よねきつ)政武 [遺 構] 横堀・井戸跡(発掘調査) [別 称] 米津陣屋 [形 状] 陣屋 1590年徳川家康の関東入国の際に、三河旗本の 米津氏に久喜の地が与えられ、1684年に陣屋が構えられました。久喜藩は武蔵国など1万2000石を領していました 。5代藩主・米津通政の時代に出羽国に移されたため、久喜陣屋は廃止となりました。 陣屋跡は現在の 後陣山児童遊園一帯といわれますが、陣屋としての遺構はありません。往時の首塚を供養したとされる大きな土盛りがあります。 後陣山児童遊園内にある土盛り(首塚) 土盛り上部(社があったようですが無くなっていました) 首塚供養由来碑 後陣山児童遊園

稲付城

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[所在地] 東京都北区赤羽西 [築城年] 15世紀後半 [築城者] 太田道灌 [遺 構] 空堀・堀切(発掘調査) [別 称] なし [形 状] 平山城 城地は荒川低地を望む舌状台地に立地し、岩槻街道の要衝に位置しています。一説では太田道灌が江戸城守備のために築城したといわれます。その後、道灌の孫・資高およびその子康資が北条氏の家臣として岩淵郷を所領していました。 現在静勝寺がある平坦地に城の主郭で、北・東・西面は断崖に面する要害でした。周辺は宅地化が進んでおり、遺構は見られませんが、発掘調査で空堀と堀切が確認されています。 静勝寺境内には太田道灌坐像が安置されている御影堂もあります。 静勝寺本堂 静勝寺石段と稲付城跡碑 太田道灌坐像が安置されている道灌公御影堂 稲付城跡の説明板 静勝寺の坂(南側の断崖)

北町奉行所

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[所在地] 東京都千代田区丸の内 [築城年] 1806年 [築城者] 徳川幕府 [遺 構] なし [別 称] なし [形 状] 奉行所 町奉行所は、寺社奉行、勘定奉行とともに徳川幕府の三奉行の一つで、町人地の行政・司法・警察の職務を担っていました 。名奉行として有名な遠山左衛門景元も1840〜43年まで北町奉行所で執務をしていました。 現在は丸の内のビル群(丸の内トラストタワー)になっていますが、平成12年の発掘調査で発見された下水溝の石組みの一部が移転して保存されています。また、その近くには鍛冶橋門周辺で発見された堀石垣を使用して積み直された江戸城外堀の石垣も保存されています。 北町奉行所の下水遺構の石組み跡 北町奉行所跡の説明板 江戸城外堀の石垣(移転復元) 江戸城外堀の石垣の説明板

四谷大木戸

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[所在地] 東京都新宿区内藤町 [築城年] 1616年 [築城者] 徳川幕府 [遺 構] なし [別 称] なし [形 状] 関所 四谷大木戸は、四谷に設けられた甲州街道の大木戸(江戸に出入りする通行人や荷物を取り締まるための関所)です。 地面には石畳を敷き、木戸の両側には石垣を設けられていたようです。 現在遺構はありませんが、四谷四丁目の交差点付近が旧跡であり、東京都の指定旧跡に指定されています。交差点の反対側には玉川上水水番所跡とともに、玉川上水の石樋を利用して作られた四谷大木戸跡碑もたっています。 四谷大木戸跡 四谷大木戸跡、玉川上水水番所跡 四谷大木戸跡 玉川上水水番所跡、四谷大木戸跡碑の説明板

品川氏館

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[所在地] 東京都品川区西品川 [築城年] 不明 [築城者] 品川氏 [遺 構] なし [別 称] なし [形 状] 館 品川氏館は鎌倉時代の御家人・品川氏( 大井氏の分家 )の館跡です。館跡は特定されておらず、貴船神社、戸越公園付近と推定されていますが、「東京都の中世城館」では、西光寺付近を所在地としています。 推定地の一つ、貴船神社は和銅2年(709年)に藤原伊勢人により創建された由緒ある神社です。JR大崎駅の高層ビル群が見える位置ですが、周囲より少し高台に立地しているようです。 貴船神社と大崎の高層ビル 貴船神社入口 境内社(大山 衹社、 三ツ木稲荷社、 満潮宮 ) 貴船神社ご由緒