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品川氏館

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[所在地] 東京都品川区西品川 [築城年] 不明 [築城者] 品川氏 [遺 構] なし [別 称] なし [形 状] 館 品川氏館は鎌倉時代の御家人・品川氏( 大井氏の分家 )の館跡です。館跡は特定されておらず、貴船神社、戸越公園付近と推定されていますが、「東京都の中世城館」では、西光寺付近を所在地としています。 推定地の一つ、貴船神社は和銅2年(709年)に藤原伊勢人により創建された由緒ある神社です。JR大崎駅の高層ビル群が見える位置ですが、周囲より少し高台に立地しているようです。 貴船神社と大崎の高層ビル 貴船神社入口 境内社(大山 衹社、 三ツ木稲荷社、 満潮宮 ) 貴船神社ご由緒

福岡城

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[所在地] 福岡県福岡市中央区城内 [築城年] 1601年 [築城者] 黒田長政 [遺 構] 南の丸多聞櫓、西隅櫓、 伝潮見櫓、 潮見櫓、下之橋御門、 名島門、 石垣、水堀、天守台 [別 称] 舞鶴城 [形 状] 平山城 1600年、関ヶ原の戦い後で東軍の勝利に大きく貢献した黒田長政は、筑前52万石を与えられ、かつて鴻臚館(古代の外交施設)があった地に7年をかけて福岡城を築城します。 内郭面積が約41万㎡の大規模な城は、西側に入江(現・大濠公園)を配し、周囲を水堀で囲まれ、47の櫓、10を超える城門で防備された強固な構えでした。 城の中枢である本丸には壮大な天守台の石垣が残されています。当時天守があったかは議論が続いており、発掘調査が続いているようです。三の丸には城内に入るための日常の通用門として使用された下之橋御門と伝潮見櫓(本来別の場所にあった)、名島城から移築された名島門、黒田24騎の一人・母里太兵衛邸の長屋門、南三の丸には総延長72mの多聞櫓と東西の隅櫓(東隅櫓は復元)があります。また、2025年に三の丸の北西に崇福寺に移築されていた潮見櫓が本来の場所に移築復元されています。 下之橋御門と伝潮見櫓 下之橋御門 水堀と下之橋御門・伝潮見櫓 伝潮見櫓 旧母里太兵衛邸の長屋門 かつて名島城の脇門だった名島門 二の丸の石垣 東御門跡 天守台入口 天守台の石垣 天守台の石垣 手前から小天守跡、中天守跡、大天守跡 南の丸多聞櫓、東隅櫓 南の丸多聞櫓の石落し 南の丸西隅櫓 南の丸西隅櫓(曲輪の内側から) 南の丸東隅櫓(曲輪の内側から) 水堀と移築復元された潮見櫓 潮見櫓 潮見櫓(曲輪の内側から)

荒子城

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[所在地] 愛知県名古屋市中川区荒子 [築城年] 天文年間(1532〜1555年) [築城者] 前田利昌 [遺 構] なし [別 称] なし [形 状] 平城 戦国時代、この地の武将であった前田利昌(前田利家の父)が築城し、その後利久、利家の居城となった城です。当時は周囲より一段高くし、柵と堀が巡っていた程度の小規模の城だったようです。 1581年に前田利家、利長が越前に移ったのちに廃城となりました。 現在、城跡は富士大権現・天満天神宮となっており、城の遺構は残っていませんが、荒子城の説明板と「 前田利家卿誕生之遺址」が立っています。また、 最寄駅の荒子駅前には前田利家とおまつ方の初陣の像が立っています。 富士大権現・天満天神宮 拝殿 前田利家と荒子城の説明板 前田利家卿誕生之遺址 前田利家公初陣之像

木津砦

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[所在地] 大阪府大阪市西成区出城 [築城年] 不明 [築城者] 本願寺木津門徒 [遺 構] なし [別 称] 木津城 [形 状] 平城 石山本願寺の支城の一つとして本願寺木津門徒によって築かれました。方8町の規模で、毛利氏による本願寺への兵糧搬入の際に重要な役割を果たしたとされています。 現在城の遺構は見られませんが、新今宮駅西方の出城公園が跡地といわれ、近辺には「出城」の地名が残ります。 出城公園 出城公園の銘板 出城公園

真鍋城

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[所在地] 大阪府泉大津市神明町 [築城年] 南北朝時代? [築城者] 真鍋 氏 [遺 構] なし [別 称] 眞鍋城、大津城 [形 状] 平城 南北朝時代、南朝方の真鍋主馬大夫の居城であり、天正年間(1573〜92年)に廃城になったと言われます。 城跡は現在の泉大津駅西側の旧紀州街道沿いにある南 溟寺(なんめいじ)境内にあり、かつての城の遺構は残っていませんが、寺の本堂前に城跡碑と伯太藩渡辺家の墓所があります。城の遺構ではありませんが、寺の山門と鐘楼は大変立派な建物です。 南 溟 寺鐘楼 南 溟寺山門 真鍋城址 真鍋城址と本堂

助光城

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[所在地] 愛知県名古屋市中川区助光 [築城年] 不明 [築城者] 福留氏? [遺 構] なし [別 称] なし [形 状] 平城 織田信長に仕えた福留将監の居城跡と言われます。左近将監、右近将監ともされる人物ですが、詳細は不明です。信長とともに各地を転戦し、本能寺の変で亡くなったとされます。 土之宮神明社の境内に福留将監古城跡の石碑が残ります。石碑には「是ヨリ西南壱町余」と書かれていますので、助光1丁目、2丁目のあたりに城跡があったものと考えられます。 土之宮神明社 福留将監古城跡碑

前田城

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[所在地] 愛知県名古屋市中川区前田西町 [築城年] 不明 [築城者] 前田氏 [遺 構] なし [別 称] なし [形 状] 平城 前田利家を始めとする前田氏発祥の地とされ、利家もこの城で生まれ、荒子城に移って成長したとする説があります。天正12年の長久手の合戦ののち、徳川家康の攻撃を受け落城、城主与十郎は蟹江で討死しています。 城跡は現在利家が寄進した阿弥陀如来を本尊とする速念寺になっています。山門のそばに城址跡がありますが、城の遺構は見られません。境内には最後の城主与十郎の墓等があります。 速念寺山門 前田城址 速念寺本堂 (前田利家の兜を彷彿させる) 前田与十郎の墓

潮田館

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[所在地] 神奈川県横浜市鶴見区汐入町 [築城年] 戦国時代 [築城者] 潮田光行 [遺 構] なし [別 称] なし [形 状] 平城 北条氏家臣であった潮田氏の居館跡とされています。今川氏庶流の入野将監光興の嫡子光行が潮田に移り住み潮田氏を称し、北条氏康の家臣となったようです。 現在潮田氏が開山したと伝わる光永寺が館跡とされ、かなり立派な建物がたっていますが、遺構は特に残っていません。 光永寺 光永寺 光永寺由来碑

小田殿屋敷

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[所在地] 神奈川県川崎市川崎区小田 [築城年] 不明 [築城者] 不明 [遺 構] なし [別 称] なし [形 状] 平城 現在の川崎市川崎区小田付近にあった城館で、鎌倉時代から領主の居館であったとされています。戦国時代には北条氏家臣の小菅摂津守がこの地を治めていたようです。 「殿屋敷」という地名もあったようですが、現在はなくなっています。小田公園付近が城館跡とされていますが、遺構は特に見られません。 小田公園 小田球場を遠望 小田公園

梶原氏館

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[所在地] 東京都品川区東大井 [築城年] 戦国時代 [築城者] 梶原氏 [遺 構] なし [別 称] 伝梶原氏館 [形 状] 平城 北条氏家臣・梶原氏の居館跡とされています。梶原氏は鎌倉幕府創設に貢献した梶原景時の末裔で、現在の大田区・品川区付近の馬込村を領有していました。 JR大井町駅近くの来福寺が館跡と推定されていますが、遺構は残っていません。やや高台に位置していることから選地されたものと思われます。来福寺の北側の梶原稲荷神社には、梶原景時に関する由来の説明があります。 来福寺山門 来福寺本堂 梶原稲荷神社 梶原塚稲荷祠 由来記