佐貫城
[所在地] 千葉県富津市 [築城年] 応仁年間(1467〜69年) [築城者] 武田(真里谷)義広 [遺 構] 空堀、土塁、石垣など [別 称] 亀城 [形 状] 平山城 佐貫城は応仁年間に上総の真里谷城を本拠とする武田(真里谷)氏が築いたとされます。戦国期には里見氏の支配下に入り、久留里城とともに北条氏へ対抗する重要な拠点でした 。1590年に北条氏が滅亡すると、里見氏は安房一国に減封となり、佐貫城は徳川家康の家臣である内藤氏が在城します。その後松平氏、柳沢氏、阿部氏などが城主となり明治を迎えます。 城は南北を川に挟まれた標高約60mの丘陵地に築かれ、自然地形を活かした切岸と空堀で守られた城です。山頂部の本丸を中心に、二の丸、三の丸が配置された連郭式の配置です。山麓付近の三の丸南側が大手口で唯一の石垣の櫓台が残ります。三の丸は広く南北に3段となっています。二の丸は東西に2段となっており、東側の郭の虎口部は左右から横矢がかかるようになっています。二の丸と本丸とは巨大な空堀で隔てられており、唯一土橋でつながっています。本丸から北と西側に突出した曲輪があり、共に物見台として利用されていたようです。 大手口の櫓台石垣 大手口 佐貫城跡説明板 麓から城山を望む 三の丸南西櫓台跡 三の丸跡 二の丸と帯曲輪間の切岸 二の丸の虎口跡 本丸につながる土橋 本丸を囲む空堀跡 本丸跡 八幡曲輪の東展望台から遠望 内藤家長の墓 旧勝隆寺・内藤家長の墓