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八幡塚砦

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[所在地] 東京都大田区東六郷 [築城年] 永禄年間(1558〜1570年) [築城者] 行方明連 [遺 構] なし [別 称] 八幡塚行方氏館 [形 状] 平城 1569年に武田信玄が小田原城に進軍した際に、この地の領主であった行方氏が八幡塚の地に城塞を築き、戦闘があったといわれますが、武田軍の通過を否定する説もあり定かではありません。 六郷神社付近が砦跡とされ、遺構は残されていませんが、梶原景時が寄進した神橋、源頼朝の手水石など由緒ある神社です。 砦跡とされる六郷神社 梶原景時が寄進したといわれる神橋 源頼朝公寄進の手水石 六郷神社社殿

斎藤氏館

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[所在地] 東京都大田区蒲田 [築城年] 永禄年間(1558〜1570年) [築城者] 斎藤 政賢 [遺 構] なし [別 称] なし [形 状] 居館 京急蒲田駅近くの妙安寺は、北条氏の家臣であった行方義安の後室・妙案尼が、義安の死後に兄の斎藤政賢の館内に庵を結んだことに始まると寺伝に残されています。妙安寺の入口付近に 妙安尼供養塔がたっています。 現在館の遺構は残されていませんが、妙安寺と蒲田八幡神社付近が斎藤氏の居館であった可能性が高いと考えられています。 館跡とされる 妙安寺 妙安尼供養塔 妙安尼供養塔の説明板 妙安寺七面堂(左)と境内

行方氏館

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[所在地] 東京都大田区蒲田 [築城年] 戦国時代 [築城者] 行方直清 [遺 構] なし [別 称] なし [形 状] 居館 行方氏館は、戦国時代に北条氏の家臣で六郷領を支配していた行方直清により築かれたとされます。 直清は 1590年の豊臣秀吉による小田原征伐の際に討ち死にしたと伝えられます。 屋敷跡は直清の弟(日芸)が開いた円頓寺となっており、 館としての遺構は残っていませんが、 行方弾正直清供養塔があります。近隣の六郷殿館と同じく、呑川を堀として利用していたようです。 館跡とされる円頓 寺 行方弾正直清之墓 行方弾正直清供養塔の説明板 円頓寺由緒碑

六郷殿館

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[所在地] 東京都大田区蒲田 [築城年] 天文年間(1532〜1555年) ? [築城者] 上杉憲幸 [遺 構] なし [別 称] なし [形 状] 居館 上杉憲幸は関東管領・山内上杉憲政の子であり、北条氏により攻められた後は 北条氏傘下に下り、六郷殿の所領とともにこの地に居館を構えたとされます。 都市化により遺構は残されておらず、現在の蒲田小学校や 青巒寺(せいらんじ)付近が館跡とのことです。すぐ南側に呑川が流れており、天然の堀としていた可能性があります。 館跡付近とされる 青巒寺 付近を流れる呑川