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市ヶ谷見附

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[所在地] 東京都千代田区九段北 [築城年] 1636年 [築城者] 徳川幕府 [遺 構] 石垣 [別 称] 江戸城市ヶ谷御門 [形 状] 見附 市ヶ谷見附は江戸城の外堀に設けられた枡形の城門の1つで、津山藩・森家により築造されたものです。見附とは敵を監視するための見張所で、俗に三十六見附と呼ばれていました。 現在枡形の痕跡はありませんが、市ヶ谷御門橋台の石垣の一部が市ヶ谷駅交番裏に移設されています。また、地下鉄市谷駅構内にも石垣の展示コーナーもあるそうです。 市ヶ谷御門櫓台の石垣の一部 市ヶ谷御門櫓台の石垣の一部 市ヶ谷門跡説明板 市ヶ谷橋

佐倉城

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[所在地] 千葉県佐倉市城内町 [築城年] 1611年 [築城者] 土井利勝 [遺 構] 曲輪、角馬出、土塁、堀、出丸、溜池など [別 称] 鹿嶋山城 [形 状] 平山城 1586年に北条氏政が築いた鹿島城が佐倉城の前身と言われます。徳川家康が関東に入ると久野宗能が城に配置され、1610年には土井利勝が7年の歳月をかけて改修し、佐倉城へと名を変更します。その後も代々譜代大名が城主を務め、最終的には堀田氏が城主となります。城内には幕末期老中として活躍した堀田正睦の銅像が立っています。現在城の建造物は残っていませんが、城址公園として整備され、天守台や土塁、空堀、水堀などの遺構が良好に保存されています。 角馬出の空堀 角馬出の空堀 田町門跡付近の水堀 堀田正睦公像 本丸天守台跡 銅櫓跡 角櫓跡(三階櫓) 三の丸空堀 大手門跡

成瀬城

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[所在地] 東京都町田市南成瀬 [築城年] 不明 [築城者] 不明 [遺 構] 曲輪跡、櫓台跡、井戸跡 [別 称] なし [形 状] 平山城 城の由来は不明です。恩田川河岸に向かって伸びる台地上の突端に位置します。現在は城山公園となっています。現地の説明板によると、曲輪の南端には堀の痕跡が確認されています。現在は単一の曲輪のようになっていますが、さらに南側にも曲輪があった複郭式の城郭であった可能性があるようです。公園内には復元された井戸、曲輪北端付近には櫓台跡と思われる痕跡が見られます。 成瀬城跡石碑 現地説明板 城跡近くを流れる恩田川 城山公園入口 曲輪跡 城跡西側

早川城

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[所在地] 神奈川県綾瀬市城山 [築城年] 不明 [築城者] 渋谷氏 [遺 構] 空堀、曲輪、櫓台など [別 称] 早川城山、しろやま [形 状] 平山城 平安時代末期に渋谷重国が築いたとされる城です。渋谷氏は源頼朝に仕え御家人となっています。戦国時代には小田原の北条氏の支配に組み込まれ、渋谷氏庶流の石川氏が居住していたといわれます。現在は城山公園として整備されています。城は標高約46mの台地上にあり、 東・西・南側が断崖の地にある要害の地で、 主郭を中心に、腰曲輪や空堀・土塁跡などの遺構を見ることができます。 主郭跡 主郭物見塚 東郷氏祖先発祥地碑 主郭北側の堀切 南西部の腰曲輪跡 東側の断崖

矢上城

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[所在地] 神奈川県横浜市港北区日吉 [築城年] 戦国時代 [築城者] 中田加賀守 [遺 構] なし [別 称] なし [形 状] 平山城 神奈川県横浜市の矢上城です。城は矢上川西岸の台地上に位置します。戦国時代、北条氏の家臣で小机衆の中田加賀守の居城とされています。城跡は慶應義塾大学のキャンパスとなっており、城らしい遺構は見られませんが、キャンパスの入口付近に 中田加賀守墳墓参道碑があります。近くにある保福寺は中田加賀守の開基とされています。 矢上城跡付近 中田加賀守墳墓参道碑 城跡付近は大学の運動場 保福寺 矢上川

駿府城

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[所在地] 静岡県静岡市葵区城内町 [築城年] 1585年 [築城者] 徳川家康 [遺 構] 石垣、堀など [別 称] 府中城 [形 状] 平城 今川氏によって築かれた今川館跡に、後に駿河国を支配した徳川家康が拠点とした城郭です。家康の関東移封により一時離れますが、関ヶ原の戦い後再び領有し、家康の隠居城として整備されました。かつては六重・七階の天守が建つ華麗な城郭でした。 現在は石垣と堀が残るほか、1989年に二の丸の巽櫓と東御門(高麗門・櫓門)、2014年に二の丸坤櫓が復元されています。現在(2021年2月時点)天守台付近の発掘調査が実施されており、外部から発掘された石垣の様子を見学することができます。 二の丸巽櫓 二の丸巽櫓 二の丸東御門(櫓門) 二の丸水堀 二の丸坤櫓 二の丸坤櫓 本丸堀跡 天守台発掘調査 小天守台発掘調査

越ヶ谷御殿

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[所在地] 埼玉県越谷市御殿町 [築城年] 1604年 [築城者] 徳川家康 [遺 構] なし [別 称] - [形 状] 御殿 越ヶ谷御殿は越ヶ谷郷の会田出羽資久の陣屋があった場所でしたが、徳川家康により増林にあった御茶屋御殿を移したものといわれます。家康や二代将軍の秀忠もしばしば訪れて泊り、鷹狩をしたとされます。その後、1657年明暦の大火で江戸城が焼失したため、将軍の仮殿として江戸城二の丸に移されました。現在は越ヶ谷御殿跡の石碑と説明板が立つのみです。 石碑 石碑と説明板

鎌倉

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[所在地] 神奈川県鎌倉市 [築城年] 13世紀以降 [築城者] 鎌倉幕府 [遺 構] 切通し、堀切、竪堀、土塁など [別 称] - [形 状] 城塞都市 鎌倉は河内源氏の源頼義が鶴岡八幡宮を創建し、源頼朝が武家政権を創設した地です。南は海に面し、三方が丘陵で囲まれた要害の地であり、攻め難く守りやすい地形でした。平野部では北の 鶴岡八幡宮から南に延びた若宮大路を中心に街区が形成され、幕府や御家人たちの屋敷などがありました。鎌倉への出入口は七つの切通しがあり、周辺には堀切や竪堀などの防御遺構が見られます。 鶴岡八幡宮入口・若宮大路 鶴岡八幡宮 鶴岡八幡宮 畠山重忠邸跡 大倉幕府跡 源頼朝墓

村岡城

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[所在地] 神奈川県藤沢市村岡東 [築城年] 平安時代末期 [築城者] 平良文 [遺 構] なし [別 称] 高谷砦 [形 状] 山城 神奈川県藤沢市の村岡城です。坂東八平氏の祖とされる平良文の居城と言われます。戦国時代には玉縄城の支城として高谷砦が築かれ、1590年北条氏の滅亡とともに廃城となりました。現在村岡城址公園として整備されていますが、周辺は宅地化により遺構は残っていません。城址公園には日本海軍の英雄・東郷平八郎が書いた村岡城の石碑と忠魂碑が建てられています。 村岡城址公園入口 村岡城址公園 忠魂碑 村岡城址の碑 高台となっている村岡城址公園