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横山城

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[所在地] 長野県長野市箱清水 [築城年] 南北朝時代 [築城者] 不明 [遺 構] 曲輪、土塁、堀切 [別 称] なし [形 状] 山城 城は善光寺の東側一帯の城山に位置します。南北朝時代以降、善光寺平における軍事拠点として重要視されてきた城でした。1555年の第2次川中島の合戦では、上杉謙信が横山城を本陣とし、武田信玄と200日にわたり対陣しています。 現在、城跡は城山公園として整備されており、本丸跡には健御名方富命彦神別神社の社殿が建てられており、社殿の背後に一部土塁が残存しています。 本丸跡に鎮座する健御名方富命彦別神社 土塁跡 城山公民館に建つ説明板 城山 善光寺本堂

鷺森御坊

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[所在地] 和歌山県和歌山市鷺ノ森 [築城年] 1563年 [築城者] 本願寺 [遺 構] 堀跡 [別 称] なし [形 状] 寺院 和歌浦の御坊山(現・秋葉山)から浄土真宗の御坊(雑賀御坊)が移転してきたのが1563年です。1580年には織田信長と敵対していた本願寺顕如を迎え、貝塚に移るまでの3年間、本願寺の本拠となり、寺内・門前がにぎわい雑賀衆の拠点となりました。 1600年の浅野氏入国後は寺の周辺地が寺領として認められ、現在も本願寺鷺ノ森別院として残ります。平成24〜26年度の隣接する南側学校建設地の発掘調査で幅約17m、深さ約3mの大規模な堀跡が見つかっています。 本願寺鷺森別院 説明板 現在の鷺ノ森別院の本堂

富士塚城

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[所在地] 神奈川県横浜市泉区下飯田町 [築城年] 鎌倉時代 [築城者] 飯田家義 [遺 構] なし [別 称] 飯田五郎家義館 [形 状] 平城 1180年の石橋山の戦いで敗れた源頼朝を安房に逃れさせ、その後の戦功によりこの地を与えらえた飯田家義の館とされています。城は和泉川と境川にはさまれた低丘陵上に位置します。明治時代に富士塚から五輪塔や納骨壺が出土したといわれます。 現在宅地造成により城の遺構は見当たりませんが、富士塚公園の一角に城碑と説明板がたてられています。 富士塚公園 富士塚城址 現地の説明板

四谷見附

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[所在地] 東京都新宿区四谷 [築城年] 1639年 [築城者] 徳川幕府 [遺 構] 石垣 [別 称] 江戸城四谷御門 [形 状] 見附 四谷見附は江戸城の外堀に作られた三十六見附と呼ばれる枡形城門の1つです。四谷見附の枡形と石垣は長州藩の毛利家によって築かれました。 明治維新後、枡形と石垣は撤去されましたが、JR四ツ谷駅前に見附北側の石垣が現存しており、南側の石垣は四ツ谷駅舎の下部に保存されています。 枡形石垣 枡形石垣 枡形石垣に使用された石材 四ツ谷駅舎の下部に残る石垣

寺尾城

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[所在地] 神奈川県横浜市鶴見区馬場 [築城年] 1436年頃 [築城者] 諏訪氏 [遺 構] 曲輪、土塁、空堀 [別 称] 馬場城 [形 状] 丘城 鶴見区の西部・横浜市立東高等学校付近の高台に位置します。かつては沼に囲まれた要害の地だったようです。1436年頃に信濃の諏訪氏の支流が築いたとされ、その後諏訪氏は北条氏の家臣となっています。1569年の武田信玄による小田原攻撃の際に寺尾城は落城しています。 現在は宅地化が進行しており、城郭の全貌はつかめませんが、住宅街の一角に寺尾城址と説明板がたっており、「馬場」、「諏訪坂」などの地名が当時の痕跡をとどめています。また、かつての主曲輪は現在殿山公園として整備されており、竪堀の痕跡を一部確認することができます。 寺尾城址付近 寺尾城址 土塁・竪堀が残る殿山公園 (樹木が繁茂していてよくわかりませんでした) 土塁・竪堀が残る殿山公園 寺尾城址 説明板

篠原城

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[所在地]  神奈川県 横浜市港北区篠原町、大豆戸町 [築城年] 15世紀? [築城者] 金子出雲守 [遺 構] 曲輪、土塁、横堀(空堀) [別 称] 金子城 [形 状] 平山城 蛇行する鶴見川南東の台地端に位置し、正覚院の南東にあたります。新横浜駅に程近い場所にあります。北条氏家臣で玉縄衆の金子出雲守が小机城の支城として築いたといわれます。 頂部に主郭、北西に腰曲輪、東に延びる尾根上に4つの曲輪がありましたが、宅地開発で遺構は失われ、主郭の一部が残っています。現在は篠原城址緑地として整備されていますが、フェンスで史跡範囲の立ち入りが制限されており、外側から主郭の土塁、横堀(空堀)、土橋などを確認することができます。 篠原城址と説明板 篠原城址緑地説明板 篠原城があった城山 曲輪跡、横堀(空堀) 土塁跡

大豆戸城

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[所在地]  神奈川県 横浜市港北区大豆戸町 [築城年] 天文年間(1532~55)ごろ [築城者] 小幡氏 [遺 構] なし [別 称] 小幡泰久館  [形 状] 平山城 城は蛇行する鶴見川南方の眺望のきく高台に位置し、現在の本乗寺裏手の丘陵一帯にあたるといわれますが、現在は宅地化され遺構は残りません。 天文年間ごろ、北条氏家臣の小幡泰久とその子・正勝の居城であり、隣接する篠原城(金子城)とともに小机城の支城であったと想定されています。 城跡付近 城跡付近から遠望

獅子ヶ谷城

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[所在地]  神奈川県 横浜市港北区師岡町、鶴見区獅子ヶ谷 [築城年] 慶長年間(1595~1615年) [築城者] 小田切氏 [遺 構] 曲輪、土塁?、空堀? [別 称] 獅子ヶ谷殿山 [形 状] 平山城 鶴見川の南側、標高約40mの独立丘陵の殿山に築かれた城郭です。横浜市の指定文化財になっている旧横溝家住宅の裏山にあたります。慶長年間に旗本の小田切氏が築き、江戸移住の際に獅子ヶ谷村名主の横溝氏に譲ったとされます。 殿山山頂に約50m四方の単郭の曲輪跡があり、公園として整備されています。山頂からは周囲の眺望がよく効きます。旧横溝家住宅は主屋、表門、蔵などが保存整備されていて、江戸時代の豪農(名主)の生活ぶりが想像できます。 旧横溝家住宅・主屋 旧横溝家住宅・表門(背後の山が殿山) 殿山(師岡町梅の丘公園から) 曲輪跡とされる殿山山頂

淵野辺城

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[所在地] 神奈川県相模原市中央区淵野辺本町 [築城年] 南北朝時代 [築城者] 淵辺義博 [遺 構] なし [別 称] 淵辺義博館 [形 状] 平城 南北朝時代、足利直義家臣の淵辺義博の居館跡と伝わります。境川西岸の低段丘上に位置します。1335年の中先代の乱において鎌倉で護良親王を殺害し(奥州に逃した伝承も)、駿河の手越河原の戦いで討ち死にしたと言われます。 江戸時代まで馬場や土塁があったようですが、現在は遺構はなく、淵辺義博居館跡の碑と顕彰碑が立つのみです。 淵辺伊賀守義博居館跡の碑 居館跡の碑と顕彰碑 顕彰碑

岩村田城

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[所在地] 長野県佐久市岩村田 [築城年] 1864年 [築城者] 内藤正誠 [遺 構] 土塁 [別 称] 藤ヶ城 [形 状] 平山城 1703年岩村田に入り、大名に昇格した内藤氏が1864年に築城を始めましたが、明治維新を迎え城は未完成に終わりました。城は湯川の崖線に囲まれた要害の地で、西洋の築城法を取り入れた縄張だったようです。中央に正方形の本丸、東西方向に曲輪と四隅に櫓を築こうとしていたようです。城跡は現在岩村田公園(招魂社、鵲稲荷神社)、岩村田小学校となっています。平成30年の発掘調査で岩村田小学校の土塁が調査され、説明板とともに保存されています。 藤ヶ城(岩村田城)址 藤ヶ城(岩村田城)址と土塁 岩村田城址 岩村田公園 (招魂社、鵲稲荷神社)

岩村田陣屋

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[所在地] 長野県佐久市岩村田 [築城年] 江戸時代 [築城者] 内藤正友 [遺 構] なし [別 称] なし [形 状] 陣屋 1703年に1万5000石で封じられた信濃岩村田藩の藩庁です。明治維新までこの陣屋を拠点としました。内藤氏は幕末期に城主格になり、岩村田城を築こうとしましたが、完成を見ることなく、廃城になりました。 現在は佐久市公民館浅間地区館に岩村田陣屋址が建っているのみです。 岩村田藩陣屋跡 岩村田藩陣屋跡

大井城

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[所在地] 長野県佐久市岩村田 [築城年] 鎌倉時代 [築城者] 大井朝光 [遺 構] 曲輪、堀切 [別 称] 岩村田館(王城、黒岩城、石並城) [形 状] 平山城 鎌倉・室町時代を通じて佐久郡東部を中心に勢力を振るった大井氏宗家の本拠地で、朝光の代に館を構えたとされます。1484年、村上氏の攻撃により大井城は焼亡、大井宗家は滅亡、その後支族により再興された城も、1543年武田信玄によって攻略されています。 東は湯川の断崖によって形成された台地を利用しており、城域は堀切によって中央を王城、南を黒岩城、北を石並(いせならなび)城と三区分され、あわせて大井城と呼ばれます。現在は王城公園として整備されています。天然の地形を活用した湯川沿いの断崖、各城間の堀切跡は圧巻です。 大井城跡(王城跡) 説明板 王城のケヤキ 王城と石並城間の堀切 湯川沿いの断崖 王城跡から黒岩城跡を望む

渋谷城

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[所在地] 東京都渋谷区渋谷 [築城年] 平安時代末期(1051年頃) [築城者] 河崎基家 [遺 構] 石垣の一部 [別 称] 金王丸城 [形 状] 丘城 後三年の役の後、源義家についた恩賞により付近の所領を与えられた河崎基家によって築城されたとされます。東に鎌倉街道、西に渋谷川が流れ、湧泉が豊富にあったといいます。1524年の北条氏綱と扇谷上杉朝興による高輪原の戦いの際、渋谷城は焼き払われ落城しました。 城跡は現在金王八幡宮境内一帯とされます。やや高台になっており、往時は付近の眺望が効いたと思われます。八幡宮境内には渋谷城砦の石が残されています。 金王八幡宮 金王八幡宮 社殿 渋谷城 砦の石 渋谷城 説明板