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因島水軍城

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[所在地] 広島県尾道市因島中庄町 ※実際に存在した城郭ではないため省略 [築城年] - [築城者] - [遺 構] - [別 称] - [形 状] - 広島県尾道市の因島水軍城です。昭和58年に築城された水軍城で、村上水軍のふるさととして知られる因島に相応しいものと、歴史家の奈良本辰也氏監修により再現されたものです(実際に存在した城郭ではありません)。 櫓風の展望台、水軍資料館、展示室が公開されています。水軍資料館には貴重な品が展示されています。水軍城からは実際に村上水軍が拠点とした青陰城などを遠望することができます。 櫓風の展望台   麓から水軍城を見る 櫓風の展望台 水軍資料館 村上水軍の船模型 青陰城を遠望

鞆城

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[所在地] 広島県福山市鞆町後地 [築城年] 1576年 [築城者] 毛利氏 [遺 構] 石垣 [別 称] - [形 状] 平山城 鞆城は1576年に織田信長に追放された足利義昭を迎えた毛利氏によって築かれました。関ヶ原の戦い後、安芸・備後の領主となった福島正則が城郭を整備し天守も建てられたと言われます。1609年に廃城となり、江戸時代を通して町奉行が置かれました。 現在本丸跡は鞆の浦民俗資料館が建ち、建設時の発掘調査により石垣が確認され、石垣の復元整備が行われました。石垣には刻印を随所に確認することができます。 本丸復元石垣 本丸復元石垣 石垣刻印 本丸復元石垣 鞆の浦歴史民俗資料館 石垣の石材 鞆港を望む

地黄陣屋

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[所在地] 大阪府豊能郡能勢町地黄 [築城年] 1602年 [築城者] 能勢頼次 [遺 構] 大手門跡、石垣 [別 称] 地黄城、丸山新城 [形 状] 平城 源頼光の子・源頼国が能勢の地に入り、丸山城を築いて能勢氏を称しました。22代の能勢頼次は一時豊臣秀吉に所領を没収されますが、関ヶ原の戦いで功績を挙げ、徳川家康によって旧領を安堵されました。その際、丸山城から移り新たに新城を築いたのが地黄陣屋です。 現在も石垣が良好に残っています。旗本陣屋の石垣としては規模が大きく、大手の石垣は枡形となっていて屈曲する構造になっています。 大手枡形の石垣 西側石垣 西側石垣 南西側の石垣 陣屋跡 能勢氏故城址 北側石垣

池田城

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[所在地] 大阪府池田市城山町 [築城年] 室町時代前期 [築城者] 池田氏 [遺 構] 空堀、虎口 [別 称] - [形 状] 平山城 室町時代から戦国時代にかけて池田、豊中、箕面市周辺を支配していた国人・池田氏の居城でした。摂津守護・細川氏の家臣でしたが、1568年織田信長に降伏し、家臣団に組み込まれました。その後荒木村重が伊丹城を居城としたため、池田城は廃城となっています。 平成元年から発掘調査により確認された枯山水、井戸、虎口などの遺構が復元され、城跡のイメージを演出させる櫓風の展望休憩舎なども整備されています。 天守風の展望休憩舎 木橋 空堀跡 東門 池田城址 枯山水 展望休憩舎から城跡と五月山を望む

尼崎城

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[所在地] 兵庫県尼崎市北城内・南城内 [築城年] 1519年、1617年 [築城者] 細川高国、戸田氏鉄 [遺 構] - [別 称] 琴浦城、尼丘城 [形 状] 平城 1618年に戸田氏鉄が入城し、近世城郭として築きあげます。尼崎城は四重天守を持ち、三重の堀で囲まれた平城で、大坂城の西を守る役割を期待されていたため、5万石の大名としては破格の規模でした。 1873年の廃城後、城の建物や堀なども全て破却されてしまいましたが、近年家電量販店の創業者が創業の地である尼崎に貢献したいと天守を復興し、尼崎市に寄付されました。天守は層塔式で、様々な破風がつく華麗な意匠で新たな尼崎市のシンボルとなっています。 復興天守   土塀と石垣 復興天守 復興天守 復興天守 天守内部から遠望

海老名城

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[所在地] 神奈川県海老名市河原口 [築城年] 不明 [築城者] 海老名氏 [遺 構] なし [別 称] - [形 状] 平城 相模川と中津川の合流点付近に平安時代末期の源親季を祖とする海老名氏代々の居館があったと言われます。海老名氏は保元の乱などで武勇が伝えられていますが、1438年の永享の乱で幕府軍に滅ぼされています。 現在の有鹿小学校付近が居館跡とされますが、宅地化により遺構は消失しています。付近の海老名氏記念碑や海老名氏霊堂がかつての名武将を偲ばせてくれます。 海老名氏記念碑 海老名氏霊堂 御屋敷遺跡跡付近 御屋敷付近に建つ有鹿小学校 相模国で最古の歴史を有する有鹿神社

亀之甲山陣城

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[所在地] 神奈川県横浜市港北区新羽町 [築城年] 1477年 [築城者] 太田道灌 [遺 構] なし [別 称] - [形 状] 平山城 亀之甲山(かめのこやま)陣城と読みます。鶴見川北岸の小高い丘にあり、小机城の北東約1.2kmの地点に位置します。長尾景春の乱の時に景春方の小机城を攻めるために太田道灌が築いた陣城で、2ヶ月の籠城戦を経て小机城を落城させました。 現在は工業団地となり遺構は全く残っていません。 陣城があったとされるあたり 陣城があったとされる竹藪 陣城があった亀の甲羅のような小山 小机城と鶴見川 亀の甲橋近くにある浅間神社

土井谷砦

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[所在地] 神奈川県横浜市港北区小机町 [築城年] 不明 [築城者] 北条氏 [遺 構] なし [別 称] - [形 状] 平山城 土井谷(どいやと)砦と読みます。鶴見川南の丘陵に位置し、現在雲松院の裏山にあったとされます。近隣の小机城を守る砦として、北条氏の家臣である笠原氏が城代を務めました。 現在遺構は見られませんが、雲松院には笠原氏の墓所があります。 砦があったとされる雲松院 砦があったとされる 雲松院背後の丘 城代を務めた笠原家の墓所 笠原家墓所の説明板

小机城

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[所在地] 神奈川県横浜市港北区小机 [築城年] 永享年間か [築城者] 上杉氏か [遺 構] 堀、土塁 [別 称] 飯田城、根古屋城 [形 状] 山城 1439年の永享の乱のころ上杉氏によって築かれたとされますが、詳細は不明です。長尾景春の乱の際には、太田道灌によって小机城は落城しています。戦国時代、北条氏の重臣笠原氏が城代をつとめ、南武蔵地域を支配する小机衆を組織します。城は約20mの小高い丘の上に2つの主郭部(東曲輪、西曲輪)があり、互いにつなぎ曲輪で接続される縄張です。主郭部の周辺は幅広く深い空堀で囲まれています。 南側の大空堀 小机駅付近より小机城を望む 大空堀 西曲輪に建つ冠木門(模擬復元) 小机城址 北側の空堀 つなぎ曲輪土塁 東曲輪